はじめに

財産に対して強制執行を行う場合、売却価格がいくらになるのかわからない不動産などよりも現金に近い預金債権を差し押さえるほうが見通しが立てやすく魅力的な財産といえます。
しかも、直接金融機関から取り立てることができるため、競売などの時間も労力もかかる手続きをとらずにすむというメリットもあります。

一方でどの銀行のどの支店に口座があるのか、あるとしていくらの預金があるのか調査する手間はかかります。しかしこれまでの取引により相手の利用している金融機関にある程度の目星をつけることは可能であり、魅力的な執行財産であることに変わりはありません。
しかし、それだけ魅力的な財産であれば他の債権者からも目をつけられやすくなります。他の債権者に先を越され取り立てられてしまうことや差押えが競合してしまうこともあります。
そして、銀行にとっても有力な担保となっています。銀行が預金を担保に融資をしている可能性もあるのです。
その場合、十分な預金があることを確認していたとしても銀行から相殺の主張がなされ回収が難しくなるおそれがあります。

この記事では差押権利者と銀行のどちらが優先するのか前提となる知識から解説していきます。

ポイント1~差押えについて

裁判所を利用して債権の回収を実現するための手続きが強制執行です。
差押えは執行の最初に行われるものであり公権力による財物や権利の処分を禁止する行為のことをいいます。

強制執行を行うには債務名義が必要です。
債務名義は勝訴判決や執行認諾文言付きの公正証書、調停調書など、権利が確かに存在しているという公的な証明書のことです。
この証明書を管轄の裁判所に提出することで強制執行が開始されることになります。
差し押えられた財産は、競売などにより換価され債権者に交付されることになります。債権であれば直接債権者が取り立てることも可能です。

債権者が複数でそのすべての債権額に満たないときは配当手続きが実施されます。その場合、債権額に応じて按分されることが基本となります。総債権者の利益になる支出をするなど先取特権をはじめとした優先的な権利をもつ者がいればこの段階で考慮され先順位で弁済を受けられます。

対象となる債務者の財産の種類には基本的に制限はないため債権も対象とされます。
預金も債権であることから差し押さえることができます。

債権を目的とした場合には直接第三債務者に請求していくことが可能となります。取り立ては債務者に差押命令が届いた日より1週間経過すれば行うことが可能です。

ここでやっかいな問題が生じます。
銀行による貸付金の相殺の主張がなされたときに、差し押さえた者と銀行のどちらが優先するのかという問題です。

例えば、AがBに130万円を貸し付けていたケースでBが支払わないため訴訟を起こし勝訴判決を得て、C銀行に対するBの120万円の預金を差押えた場合に、C銀行がBに300万円を融資していたとして相殺を主張したとき、AとCどちらが回収できるかという問題です。

ポイント2~相殺について

意義

相殺とは債権者と債務者が相手に同種の債権をもっているときに、一方の当事者がもう一方の当事者に意思表示をすることによって債務を相当額で消滅させることです。

例えば、AのBに対する300万円の貸付金がある場合に、BもAに対して150万円の売掛金をもっているときは、AがBに150万円の範囲で相殺すると通知すればBの権利は消滅し、Aの債権は150万円となります。

この場合の利点としては、実際にお金の受け渡しを行わなければならないとすると時間や振込手数料など費用がかかることになることから無駄がはぶけることが挙げられます。
しかしそれだけにとどまるものではなくもう一つ重要な意義が存在します。一方の当事者が弁済を怠り支払いが不能となっているにもかかわらず、相手方は約束どおり弁済しなければならないとすると公平に反するからです。

例えば、前記の例でBの資金繰りが悪化して支払いができない状況にも関わらず、AはBに対して150万円を実際に支払わなければいけないとするのでは公平に反します。

そこで、実際の支払いを行わずに意思表示のみで債務の消滅を認めることにしたのです。

自働債権という言葉を聞いたことがある人も多いかと思いますが、相殺について理解するためには不可欠な知識です。
相殺する側の債権を自働債権といい、相殺される側の債権を受働債権といいます。
例えば、前記の例でAがBに対し相殺する場合にはAの300万円の貸付金が自働債権でありBの150万円の売掛金が受働債権です。反対にBが相殺する場合にはBの権利が自働債権となりAの権利は受働債権となります。

要件

相殺をするためには一定の要件を満たす必要があります。
この要件を満たさない限り一方的な意思表示によっては債務を消滅させることはできません。相手の権利を奪うことから不当な不利益を与えるわけにはいかないからです。

まず、債権が対立関係にあることが必要です。
それぞれの債権が同種の目的であることも要件となります。例えば、金銭債権と物の引渡を求める権利は同種ではないため相殺できません。通常は金銭債権が対象となります。
どちらの債権も有効に存在していることも必要です。どちらかの債権が不成立であったり無効となったりしたときは相殺は認められません。
例えば、前記の例でBのAに対する売掛金債権がBの錯誤により締結された売買契約に基づく場合に、Bがこれを取り消したときは相殺できません。

性質上許されることも必要です。
例えば、お互いに引っ越しをするときには手伝うという約束のように互いに現実の履行が不可欠なもののときは性質上認められません。
相手が同時履行の抗弁権を有している場合にも同様に認められません。これを認めてしまうと一方的に相手の権利を奪うことになってしまうからです。

他に相殺が許されないケースとしては次のようなものがあります。
当事者が契約によって相殺を禁止したときは相殺できません。ただし、当該債権を譲り受けた者がそのような特約を重大な過失なく知らないときは可能とされています。
法律によって禁止されていることもあります。悪意による不法行為によって生じた損害賠償請求権を受働債権とするものは相殺できません。また、人の生命や身体への侵害に対する損害賠償請求権についても同様です。
差押えが禁止されるものについても相殺が禁止されます。
例えば、給料債権の一部、扶養料請求権などがあります。差押えを禁止した趣旨は債権者に現実に弁済を受けさせることにあるからです。
差し押さえられている権利を受働債権とした相殺も禁止されています。これについては後で詳しく解説します。

もう一つの要件として、債権が弁済期にあることも必要です。
例えば、今が3月31日である場合に、AのBに対する300万円の貸付金債権の弁済期が本年3月31日、BのAに対する150万円の売掛金債権の弁済期が本年4月30日であるときは、Bによる相殺はできません。
もしBの相殺を認めるとAの有する期限の利益が一方的に奪われてしまうからです。このケースではAは4月30日まで支払い義務がなく、Bは本日中に弁済しないと遅延利息が生じるところ、Bの相殺により150万円分の債務に対する遅延利息の支払い義務をBは不当に免れることになります。

弁済期の到来が必要なのは自働債権についてです。期限の利益は放棄可能なため受働債権に関しては弁済期がまだであっても認められます。

例えば、前記の例でAは4月30日まで支払い義務はありませんが、期限の利益を放棄して融資金債権を自働債権としてBの権利と相殺することが可能です。

期限の利益喪失条項

債務者が銀行預金をもっている場合、その銀行から住宅ローンや事業用途などとして融資を受けている可能性があります。
こういう状態にあると銀行から預金債権と融資金債権との相殺の主張を受けることがあります。仮に銀行の主張が認められることになれば差押えが無意味となりかねません。

その場合、前記のように相殺する側の債権の期日が来ている必要があることから融資金の弁済期が重要であることになります。
しかし、実際には弁済期日が問題になることはありません。
なぜなら、融資契約を結ぶ際に一定の事情が生じたときは期限の利益を失うとの条項を入れることがほとんどだからです。
例えば、差押えや仮差押え、破産手続き等の倒産手続きが開始されたときは直ちに弁済する義務が生じるとの条項が契約内容に盛り込まれています。

銀行融資の場合、このような条項があることが普通であるため弁済期到来の要件は当然に満たすことになります。

そこで問題となるのは、いかなるときに銀行が優先しあるいは優先しないのかということにあります。

ポイント3~銀行と差押債権者の優先関係

2つの見解

どちらが優先するかという問題は、貸付金と定期預金の弁済期日、差押えがなされた日の順序により争われています。

まず、自働債権と受働債権の期日が両方とも来ている状態で執行したのであれば相殺が認められることに争いはありません。
また自働債権の期日は来ているが相手のほうはまだというケースでも可能です。この場合には期限の利益を放棄することができるためです(満期までの利息を払う必要はあります。)。

疑問があるのは貸付金の返済期日が来ておらず、定期預金のみ来ているケースです。

この問題に関しては2つの考え方があり制限説と無制限説と呼ばれています。
前者は貸付金の返済期日が先に来るときには相殺を可能とし、預金債権の方が先に来るときには認めない扱いです。
この考え方はそれぞれの制度のバランスをとることを重視したものです。

例えば、A銀行がBに対し300万円を融資し(弁済期2020年9月30日)、BがA銀行に150万円を定期預金している場合に(弁済期2020年5月31日)、Cが2020年5月31日、BのAに対する当該預金債権を差押えたケースではCの執行が認められます。
仮にA銀行の融資金債権の弁済期が2020年3月31日であるときは相殺が認められます。

かつての判例はこの立場をとっていましたがその後見解を変更し無制限説に移行しました。
無制限説は自動債権が差押えより前に獲得されたのであれば、弁済期日の前後によらず相殺を優先する立場です。この見解は相殺による担保的意義を重視したものといえます。

現在は、民法の改正により判例の立場をとることが明文で規定されています。今後は弁済期日の順序ではなく、債務者が銀行から融資を受けているかという点が重要となります。

後日取得したケース

上記に対し、差押えがされた後に新たに獲得した権利については差押債権者に対抗することはできません。
銀行がすでに債権をもっていることは必ずしも明らかではありません。そのため、あらかじめ銀行に対し陳述の催告をしておき相殺の可能性を把握することが大切です。
陳述の催告とは、強制執行の手続きの際一緒に申立てを行うことで、差押命令を送達する際、第三債務者に債権の存否や競合する差押えの有無などについて陳述するよう求める手続きをいいます。
回答は第三債務者への送達から2週間以内になされることになっています。

債権差押えの場合債務者への送達から1週間で直接取り立てることができることから回答がされる前に取り立てに入る可能性もありますが、事前に相殺の意思を確認できれば無駄な手続きを行わずに済むことになります。

仮に相殺がなされ1円も余らなければ別の預金や財物に強制執行をしていくことになります。

まとめ

  • 債権も強制執行の対象となるため銀行預金も差押え可能です。債権執行であれば第三債務者に直接請求することも可能です。
  • 相殺は同種の対立する債権をもっているときに一方的な意思表示により対当額で債務を消滅させるものです。弁済期が到来していることなどいくつかの要件があります。
  • 相殺する側の債権の弁済期が到来していれば相殺される側の債権の弁済期が到来していなくても相殺できます。期限の利益は放棄できるからです。
  • 銀行から融資を受けるときには差押えにより期限の利益を喪失します。
  • 預金を差し押さえると銀行から相殺を主張されることがあります。
  • 相殺と差押えの優劣は差押えの時に銀行が融資を行っているときは銀行が優先し、そうでなければ差押えが優先することになります。